「百聞は一見にしかず」の良い面・悪い面

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名言・ことわざをネタにあれこれ書いてみるシリーズ2回目。
今回取り扱うのは、超有名なことわざ「百聞は一見にしかず」。

これの意味はみんな当然分かるよね?

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「百聞は一見にしかず」はこんな意味!

百聞は一見にしかずとは、百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見たほうが確かだということ。

故事ことわざ辞典

非常に単純明快な意味である。
中国の「漢書(かんじょ)」という歴史書の中の一節「百聞不如一見」から切り取られた言葉のようだ。

流石は中国のことわざ!
漢字を見ただけでなんとなく意味が分かってしまう。

しかも、これを実感しない人はいないであろう、というくらいにまさに真理をついた言葉だと言える。

ブログでも何百字もクドクド書くより、写真1枚貼って終わりという方が分かりやすい場合も多い。
今は情報過多社会。
多くの情報を処理しなければならないため、より一層「百聞は一見に如かず」の精神が好まれる傾向にある。

でもね…。

たまには百聞してみよう

私は「百聞は一見に如かず」という言葉に納得しながらも、「一見」一辺倒になってしまうのは危ういと思っている。

確かに一目見たものは分かりやすい。
でも、その「分かりやすい」が問題なのだ。

なぜなら一目見て納得したらそれ以上考えないから。

聞いたり読んだりした情報は、自分の脳内でイメージしたり、補完したりする。
それは時に間違っていることもあるが、それをひっくるめて自分の頭の中で生み出される産物である。

一方、見て納得してしまった情報は、外部からの情報で充分なのでそれ以上イメージしたり補完する余地がない。
つまり、脳を使わず楽に情報を取り入れられる事になってしまう。

これの何が問題かというと、まず独創的なイメージができなくなるんじゃないか?ということ。
例えば「リンゴを描いてください」と言われ、実物を見せられればほとんどの人がその実物通りに描こうとするだろう。
一方、何も見せられなければ、もっとバラエティ豊かなリンゴの絵が出揃うはずだ。

このようなオリジナリティを養うためには、自分の脳内で日頃からイメージするクセがないと難しいかと思うのだ。

また、楽に取り入れられた情報は印象が薄く、忘れるのも早い。
映画の内容より、小説の内容の方が記憶に残りやすいのはそのためだろう(ん?私だけ?)。
そのため、大事な話ほど百聞した方がいい場合もあると思う。

一見しただけで分かった気になるな!

という訳で、一見と同じように百聞することも時に大事だよ!というのが私の結論である。
更に言えば、百聞でも一見でも分からないこともある。

そういう時は体験するしかない!

…こういう風に締めようと思っていたのだが、「百聞は一見に如かず」の続きとして、既に言葉が残されていた。

  • 百見は一考に如かず(ひゃっけんはいっこうにしかず)
    …百回見ることよりも自分で考える方が重要だ
  • 百考は一行に如かず(ひゃっこうはいっこうにしかず)
    …百回考えるよりも体験することが重要だ
  • 百行は一果に如かず(ひゃっこうはいっかにしかず)
    …百回体験するよりも成果を出すことが重要だ

これは「百聞は一見に如かず」という言葉よりも後世に付け足されたものらしいが、まさに私の言いたかった通り…、いやそれ以上に深く突っ込んだ言葉になっている。
やはり先人達の知恵には敵わないものだ…。