「絶対は絶対にない」のに織田信長はなぜ隙を見せた?

いつも2日に書いているこのコーナーだが、今回は2日遅れとなってしまった。
決して忘れてたとかそういう訳じゃないぞ?

さて、前回・前々回と日本の歴史上の人物の名言を取り上げたので、しばらくこの流れを引き継ごうかな~ってことで、今回も歴史上の有名な人物を取り上げる。

今回やるのは、戦国武将でも最も有名な織田信長公の名言「絶対は絶対ない」

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織田信長ってどんな人?

織田信長については、名前を聞いたことないって人は居ないと思う。

桶狭間の戦いで当時強国の1つであった今川家を破り、弱小だった織田家を一躍有名にした後、次々と各地の大名を滅ぼして、天下統一まであと一歩に迫った人物である。

当時にしては、かなり独特な考え方を持っていた人のようで、戦だけでなく様々な新しい政策をどんどん行ったりもしている。

  • 海外文化を積極的に受け入れ、銃を使った戦をする(長篠の戦いなど)
  • 一部商人の特権を剥奪して新興商人を育てる政策(楽市・楽座)
  • 商人が自由に行き来できるように関所を撤廃

しかし、あと一歩というところで家臣の明智光秀に裏切られ、本能寺の変で命を落とすことになる。
その後を引き継ぎ天下統一を成し遂げた豊臣秀吉や徳川家康よりも人気があるのは、その儚く悲しい最期があるからこそだろう。

「絶対は絶対にない」の意味とは?

実はこの言葉、織田信長の名言と言われているが、どこで言った言葉なのかはわかっていないっぽい。

解釈としては、「絶対に大丈夫!と安心したところに隙は生まれる」という意味に捉えている人が多いようだが、もう1つ「絶対に無理なんてことはない」という意味にも捉えられる。

織田信長の当時としてはヘンテコな政策や戦ぶりからすれば、むしろ家臣を説得するために後者の意味で使う場面が多かった気がする。

~桶狭間の戦い~

家臣「殿おやめくだされ。こんな多勢に無勢では絶対に今川には勝てませぬ!」

信長「ええーい、黙れ黙れ!絶対は絶対にないのじゃ!

~比叡山焼き討ち~

家臣「殿おやめくだされ。僧侶を敵に回しては絶対に祟られてしまいますぞ!」

信長「ええーい、黙れ黙れ!絶対は絶対にないのじゃ!

~本能寺の変~

家臣「大変ですぞ殿、光秀が攻めて参りました!」

信長「是非に及ばず」(しょうがない、仕方がないという意味)

ね?

そもそも前者の意味で使うような人物が本能寺の変を起こされたのは、少々疑問が残る。
本能寺の変が起きた時、信長の周囲には100名ほどしかいなかったとされており、これは「絶対に大丈夫!」と安心していたからではないだろうか?

矛盾した言葉

「絶対は絶対にない」

これは考えてみると「絶対がない」のだから「絶対はあるかもしれない」という風に、かなり矛盾した言葉でもある。

でもこの矛盾こそがこの言葉の最も的を得ている部分のような気がする。

誰にも絶対がある、ないは分からない。
残されるのは、動かせない結果だけだ。

それが予想通りの結果なら「やっぱり絶対そうだよね」となるし、予想外の結果ならば「絶対なんてことはないんだ…」となる。

結局それが必然だったかどうかということは、人が後から決めることなのだ。

人が頑張る動機は「絶対をより絶対に近づけること」、もしくは「絶対無理と言われることを成功させること」の2パターンあると思うが、この言葉はそのどちらにも響く素晴らしく矛盾した言葉なのだ。