「すっぱいブドウ」の話に学ぶ、カッコ悪い発言をしないための方法

今回は名言とは違うがちょっとした小話を紹介。

「すっぱいブドウ」というイソップ寓話である。

皆さんはこのお話聞いたことがあるだろうか?

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「すっぱいブドウ」とはどんなお話?

「すっぱいブドウ」とは「狐と葡萄」とも言われるお話。

あらすじは本当に単純明快。

ある1匹のキツネが木の上に美味しそうなブドウがなっているのを見つけた。

キツネは食べたいと思い、ブドウを取ろうとするが高いところにあるブドウにはどうしても届かない。

キツネはブドウを取るのを諦め、「どうせあのブドウはすっぱいに決まってる」と捨て台詞を吐いて帰っていきましたとさ。

めでたしめでたし。

とまぁこんな話である。

話として見ると何の盛り上がりもない面白くない話だが、ここには人間の面白い心理状態が隠されている。

それは「自分が手に入らないものは悪いものだ」と決めつけ、自分のプライドや心の平穏を保とうとするという心理。

アンナ・フロイトが言うところの「合理化」という防衛機制である。

私は知らなかったが、一方でこれとは逆の「甘いレモン」という話もあるらしい。

これはググっても詳しい話が載っていなかったから、「すっぱいブドウ」の対比として誰かが言い出した寓話でもない話だと思うが、要するに「自分が持っているレモンは甘い」と自分に言い聞かせるということ。

これも上の合理化と同じ。

2つの話を合わせると

「自分の持っているものは良い物に違いなく、自分が手に入らない物は悪いものに違いない」

と自分に言い聞かせて心の平穏を得る(ことを若干皮肉ったような)お話である。

合理化するのは仕方ない、人間だもの

この話の教訓として多く言われるのは、「このキツネのようにカッコ悪いことを考えないで、自分の器を知ろう」ということだが、これはちょっと間違った解釈だと思う。

なぜなら、これはあくまで防衛機制だがら。

防衛機制とは自分の心が壊れないように、無意識に心が作り出す妄想みたいなものである。

つまり、誰でもこう思ってしまうのは仕方がないことなのだ。

人間だもの。

ただ、外側からキツネを見るとカッコ悪いことは否めない。

もしあなたが「こんなカッコ悪いことしたくないなぁ」と思うのであれば、自分が今合理化していないかどうかを客観的に見てみることが大事である。

実はイソップ寓話をわざわざ持ち出しまでもなく、日常会話に合理化から来る発言は山のようにある。

例えば、仕事で(出世したいのに)なかなか出世できない人が

「いや~、管理職になると仕事大変になるじゃん?俺仕事よりプライベート大切にしたい人だから」

というような発言をしたり、

結婚(したくても)できない人が

「結婚なんて自由なくなるし、縛られるし人生の墓場だよ」

と言ってみたり、

(金持ちになりたいのになれない)貧乏アフィリエイターが

「このギリギリの生活が楽しいんだよ!」

と気取ってみたりするようなことである。

これを人前で堂々と言ってしまうと、正直言ってかなりカッコ悪い。

もし、こういうことを言いたくなったら一瞬堪えてグッと考えてみよう。

それが本心なのか、それとも防衛機制の合理化が生み出した妄想の産物なのかを。

そうすれば相手に(あ、コイツダサいこと言ってる)と思われずに済むはずだ。

ちなみに私個人的には、こういう合理化を堂々と口にできる人はそんなに嫌いじゃない。

こういうのを堂々と言える人の方が人間味があっていい。

人間だもの。

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