「人によってものの見方は違う」私が大学で学んだ一番大切なこと

そろそろこのコラムにも飽きてきてスタイルが崩れつつあるけども、第20回目。

今回は名言ともことわざとも違うが、「ものの見方は人によって違う」という言葉を紹介しようと思う。

「そんなの当たり前」と思っていても、本当に理解して実践するのは難しい言葉だと思う。

スポンサーリンク

「ものの見方は人によって違う」の意味

私がこの「ものの見方は人によって違う」ということを意識しだしたのは、大学での授業がきっかけだった。

私は当時心理学を専攻していたのだが、心理学ではこのことをトリックアートで説明したりする。

例えば有名なのが、「ルビンの壺」という絵。

出典:http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-f45f.html

この絵には2つの見え方がある。

一つは白い壺、もう一つは向かい合う2人の黒い顔。

これは、ぱっと見で壺だと思う人も、2人の顔だと思う人もいる。

どちらも間違いではない。

しかし片方の見方にこだわると、もう片方の存在にはなかなか気づきにくい。

この絵は比較的どちらも見えやすいが、これを実際の出来事に置き換えてみたらどうだろうか?

実際の出来事は絵に比べて、もっと複雑で見えにくく、2つどころかかなり色々な見方ができるもの。

「一つの側面だけ見て分かった気になったりはしていないか?」という問題提起の絵でもあるのだ。

人に合わせなきゃという強迫概念からの解放

これは言い換えれば、「自分の見方・人の見方を尊重しよう」ということでもある。

私は小学校~高校までの間、かなりの田舎に住んでいた。

元々地元民ではなかった私は、引っ越してすぐ田舎ならではの同調圧力に苦しみ、その地方の方言じゃない、とか、その考えはオカシイ、という理由でいじめられたこともある。

それ以降、なかなか自分の考えが人と違っても言えないなんてことも多かった。

そんな私にとって、これは割と救いの言葉でもあった。

「あー、誰かと考えを合わせる必要はないんだ」という解放感。

別に私自身が特別変わった物の見方をしてる訳じゃないけど、そう思えるだけで世界が広がったような気がした。

それと同時に、ちょっと変わった考え方や発想に興味を持つようになり、そんな考え方ができることに憧れるようにもなっていった。

この頃に、私がニートになる素質が目覚めてしまったのかもしれない…。

物事を色んな面から見れば選択肢が広がる

上で紹介した絵以外にも心理学の授業では「色んな角度から物事を見ましょう」というような内容が多かった気がする。

ではなぜ色々な見方を知らなくてはならないのか?

それは選択肢を多く持つため。

しかしこれはある意味、高校まで習ってきたこととは真逆のことだったりする。

高校までの問題には一つしかない答えがあり、それ以外は全て間違いだ。

この思考をずっと引きずっている人も多いが、現実に起こる問題は解決法は一つだけではないし、そもそも正解・不正解も決まっていないことがほとんどだろう。

そんな場合には、一つの「正しい答え」を追い求めるより、色々な見方をして、ベターだと思える解決法をいくつか用意する方が選択肢が広がるのだ。

例えば、「今日何食べようかな~?」と悩んだ時、そこに本来正解はない。

でも高校までの正解は一つしかないと考えるタイプだと「夕食はご飯とみそ汁と焼き魚に決まってる!」と無理やり正解を作ろうとする。

これはこれで悩まなくて済む利点はあるののの、食べられる物の幅を狭めているという面もある。

だが、色々な解決法が用意できる人は「今夜は韓国料理、イタリア料理、ヒスパニック料理どれにしようかな?」と食べられるものの幅が広がり、結果的に豊かな食生活を送ることができるだろう。

つまり、色んな見方を認め意識することは、人に寛容になれるだけでなく、自分のためにもなる。

なぜその人はそのように考えたか?を想像する

誰かと自分の意見が違う、というのは時に不快感を感じるものだ。

特に親しい仲であればなおさら。

そんな時は意地になって相手の意見を正そうとしたり、気が弱い人は逆に自分の意見を間違いだったと考えたりしがち。

でも別に2人の考えを合わせる必要なんて全くない。

自分はこう思うけど相手はこう思ってる、で良い。

むしろ、誰かと意見の違いがあれば、それは自分の引き出し(ものの見方)を増やすチャンスでもある。

そんな時は「なぜその人がそう考えたのか?」を想像してみよう。

相手の立場(職業・住んでいる場所・家族構成など)、相手の性格、その日の気分、その他もろもろを踏まえて自分がその立場になったことを想像してみると、大抵の場合「そういう考えも分かるなぁ」と思えるはず。

そうすれば、これだけでものの見方が2つに増やせたことになる。

つまり、色んな考え方に触れてそれを理解できれば、ものの見方は広がるのだ。

と説教臭く色々言ってるけど、私自身もまだまだできていない場面は多いので、ほんと偉そうにスイマセン。

ただ、この話は前々回の記事とか、「人会いプロジェクト」の意義的なものにも関連しそうだな~とか思ったりもする。

最近なんか真面目系な記事が多いけど、実際のニトは相変わらずのいい加減さなのであしからず。