多様性(ダイバーシティ)の意味!大事と言われる理由とは?

無駄話

以前の記事で書いた不登校Youtuberのゆたぽんが、今日またTwitterのトレンドに上がっていた。

どうやらAmebaTVで特集されたことで、また話題になっているよう。

ざっと色んな人の意見を確認したところ、やはりゆたぽん否定派が圧倒的に多い。

さて、そんなゆたぽんを紹介する記事や動画の中では、たびたび「多様性」という言葉が出てくる。

「多様性が大事」と最近色んなところで言われるようになった。

そこで今回は多様性とは何か、そしてなぜ「多様性が大事」とこれほど言われるようになったのかについて書いてみたいと思う。

スポンサーリンク

多様性(ダイバーシティ)とは?

多様性の直接の意味としては、「様々な種類・性質が違うものがあること」。

最近多く使われる多様性やダイバーシティとは、これを人間に当てはめて「様々な人種・文化・価値観を持った人がいること」を指している。

こういう風に説明するとめちゃめちゃ簡単な言葉である。

なぜ今「多様性が大事」と言われるのか?

政治やビジネスの世界では、よく「多様性が大事だよ」とか「多様性を認めよう」という言葉を聞くようになった。

元々人間1人1人が違うことは誰でも知っているのに、なぜ、今になって突然こんなことを言い出したのだろうか?

ここからは「多様性が大事」と言われる理由について考えてみる(日本での話なので、多様性の中でも主に価値観がメインの話になる)。

価値観を発信しやすくなった

まず、1つ目の理由として考えられるのは、多様な価値観を誰もが発信しやすくなったこと

ゆたぽんを例に挙げてみると、昔は「不登校でも不幸じゃない」と思っている子がいたとしても、一般人にはその考え方を広める手段がなかった。

しかしブログ・SNS・Youtubeなどの登場で、やろうと思えば誰もが世界に向けて、「自分だけかもしれない少数派の価値観」を発信できるようになったのだ。

そして、その意見が注目を集めると、中にはそれに賛同する人も出てくるようになる。

そんな新しい価値観を受け、政治家として票を得たい人や、色んな顧客を獲得したい経営者は、「私はこのような価値観も認めていますよ」というアピールをする必要が出てきたのだ。

様々なニーズに対応できる

価値観を誰もが発信しやすくなったことにより、人の価値観も以前より多様になってきた。

この価値観の多様化は、日本人の消費行動にも影響を与えている。

昔は三種の神器とか3Cと呼ばれる、国民みんなが欲しい物というのがあったが、価値観の多様化によって、人それぞれに欲しい物が変わってきてしまったのである。

例えば飲食店。

昔は飲食店を選ぶポイントは「行きやすいか」「有名なお店かどうか」「美味しいかどうか」「接客がどうか」というくらいのものだった。

しかし、今ではそこに「価値観が自分に合うか」というポイントも入ってきつつある。

例えばヘルシー志向な人へ向けた「野菜中心のレストラン」や、特定のメニュー好きの人へ向けた「1品しかメニューのないレストラン」などがそれに当たる。

このような少し変わった価値観に対応するためには、企業内にその価値観を持つ人材がいなければ、ニーズが分からない。

そこで企業では、全員同じ経験・価値観を持つ人ではなく、多様性のある人材を求めるようになってきているのだ。

多様性が認められる社会にはまだなっていない

ここまで書いたように、価値観はどんどん多様化しており、社会も新しい価値観を認めようとする流れになってきている。

しかし、あくまでまだ現在進行形であり、まだ多様性が完全に許容されている訳ではない。

そもそも、「多様性を認める」という言葉自体を多くの人が勘違いしているのだ。

多様性を認めるとはその人の立場になって考える、という難しい話ではなく、そういう価値観を持つ人がいることを認めることである。

だから別に自分がそう思わないとしても、「そういう考えもあるのか」と思っていれば、それが多様性を認めているってことなのだ。

「人は人、自分は自分」と思うことが多様性を認めること。

めちゃくちゃ簡単なことだ。

でも現実的には、まだまだこの意味での「多様性を認める」ことすらできない人が多い。

ゆたぽんの例もそう。

「学校に行かない」という価値観はTwitterを見る限り、ほとんど認められていない。

それどころか、わざわざ誹謗中傷の言葉を送ったりする人も沢山いる始末。

多様性を認めることの意味を知り、そして実際に認めることは、今の日本ではまだできているとは言い難い状況にあるのだ。

まだ多様性が認められていないからこそ、「多様性が大事」と言われている側面もあるのだろう

人を叩くより、アイデンティティを確立しよう

日本はほぼ単一民族国家で、みんな同じ教育を受け、同じような生活スタイルを長く続けてきた。

私たちはこれまで、多様性とは対極にある画一性を身につけていたのだ。

ここから脱却することはなかなか難しいと思うが、みんなが同じ生活スタイルというのは徐々に崩壊してきており、海外からはどんどん異なる人種・文化を持つ人が入ってきている。

多様性を認めたくないと思っても、もう認めるしかない状況になってきているのが現実だ。

それなら、自分と違う人の足を引っ張るのではなく、自分のアイデンティティを確立していくことに力を注いでいくべき時なんじゃないのかなーと思う。

ちなみに私の価値観は「ひきこもりながら楽しく暮らしたい」。

全く叩かれないのは良いことなのか悪いことなのか…。

コメント

タイトルとURLをコピーしました