人の価値は何で決まる?自分の価値を失った3つのきっかけ

無駄話

私の中で最近のHOTワードは「価値」

例えばアルバイトで時給800円で働く人がいる一方、1時間で数十万稼ぐ人もいる。

人の価値はお金だけで決まらないとは言え、それでも現状、人の価値の一側面を担っていることは否定できないのも事実。

ヤフコメなどでは、「生産性のないひきこもりはどこかで強制労働させろ」という書き込みを度々目にする。

これはまさに、人の価値を生産性=お金で判断している人の意見だと言えるが、割とこのような考えの人は多いと思う。

以前読んだ「幸せになる勇気」という本の中には、「どんな人間も等しく価値があり、まず自分に価値があることを認めないと、他人の価値を認められない」というような一説があった。

ただ、自分の価値を無条件で認められるか?というと難しい人もいるはずだ。

例えば、生まれながらに、親から「あんたはバカだから」「出来が悪いから」と言われ続けてきた子どもは、大人になってもなかなか自分の価値を認められないのも当然だろう。

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私が自分の価値を失っていった過程

私自身のことを考えてみても、残念ながら今も「自分に価値がある」と言える境地にはいない。

私が価値を見出せなくなってしまったきっかけは、コミュニケーションの問題が大きかったような気がする。

私はこれまでの人生の中で3つのきっかけにより、自分の価値をどんどん手放していったのだ。

第1のきっかけ

保育園~小学校低学年時代の私はそこそこ勉強ができ、口数が少ない、目立たない子どもだった。

要するに暗いガキである。

大人はキャピキャピした可愛らしい子どもが好きだし、子どもの達の輪には自分から「入れて」と言わないとなかなか仲間に入れてもらえない。

結果、誰からも注目をされず、一人遊びが好きな子になっていった。

何をしても注目を集めることがないことから、私には価値がないと考えた最初のきっかけはここにありそうだ。

第2のきっかけ

第2のきっかけは、そんな状況を脱するべく、小学3年生の頃に行った大きなキャラクター変更。

私は「暗い奴」という印象を打破するため、ある時から急に饒舌になり、同級生と積極的に絡むようになった。

同級生は当初面食らっていましたが、増長する私をよく思わない人もいた。

結果、私は「生意気だ」という理由でイジメを受け、イジメで受けた怪我が原因で親に発覚、学校でも大問題になる。

私はここでようやく色んな人の注目を集める存在になったのだ。

しかし、憐れむような先生や同級生の目が恥ずかしく、とても気分が良いものではなかった。

第3のきっかけ

この失敗から学んだ私は、更に年月をかけて少しずつキャラクターを微調整していくことになる。

その結果生まれたのが、「いじられキャラ」という立ち位置だ。

周りの誰よりも自分を下に置くことで、私が何を言っても「どうせコイツの言うことだし」と思われるように仕向けるようにした。

そうすることで私は、誰にも気兼ねなく言いたいように言える自由を獲得したのである。

その反面、誰よりも下の身分に収まり続けなくてはいけないため、自分の失敗は大々的に吹聴し、ちょっとした成功は隠すようになった。

これが現在まで続く、私の外面の基本的な人格である。

この立ち位置は自分にとって居心地が良い反面、自分の価値が見えない大きな原因にもなっていると思う。

失敗を誇張し成功を隠す、ということをし続けた結果、自分の記憶にも失敗経験しか残らず、成功体験が思い出せなくなってしまったからだ。

これが決定的に響いてしまったことがある。

就職活動だ。

就活では、結局50社以上の面接に落とされることになり、これが「自分に価値がない」と思う第3のきっかけになった。

自分に価値を取り戻す

このように自分の価値を見失うしくじりを続けた20代前半までの私は、その後病気という形で大きな代償を支払うことになる。

しかし病気から復帰した後も、仕事を辞めて一人で活動するようになってからも、この性格が大きく変わったとは思えない。

でも、今は少しずつでも変わっていきたいと思っている。

自分の価値を認めなければ、結局誰からも認めてもらえない=自分はダメだ、というループから抜け出せないからだ。

それは結局自分だけでなく、周りの人をも不幸にする。

私は自分を他人より下に置くという性質上、基本的に「他人は皆、素晴らしい」という見方をしていて、これが他人を尊重することだとずっと思っていた。

しかし、これは単純に「私より生産性が高いところが凄い!」みたいなヤフコメ民と変わらないところしか見ておらず、ありのままの存在価値を認めるとは別物だったのかもしれない。

他人のありのままの価値を認めるというのもなかなか難しいものだ。

どうやったら自分の価値を認められるのか、ということについてだが、これもアドラーからヒントを得るとするならば「誰かに貢献すること」が自己承認に繋がるようだ。

本を読む直前に始めた「レンタルひきこもり」だが、これは企図せず、今の自分に必要な行動だったのかもしれない。

有償・無償問わず、今後は誰かに貢献出来る時には積極的に貢献してみたいと思う。

ところで冒頭で紹介した「幸せになる勇気」の中にはこんなことも書いている。

アドラーは「無意識なんか興味ないね!」と言い切ります。

アドラーにとって無意識に抱える過去のトラウマは、現在の自分が作り出した「都合の良い過去」だからです。

https://nito-nitto.com/archives/1150

別に私はアドラー信者でもないですが、今回書いた私の過去はひょっとしたら全て嘘の可能性もある。

過去の話は話半分に聞いた方がいいかもしれない。

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