正義感が炎上・いじめの原因にも!悪意より恐ろしい正義

無駄話

近年、毎日のようにどこかのネットが炎上している。

炎上は不適切発言や不倫・迷惑行為など皆が「悪いと思うこと」への執拗な叩きである。

昨日はお箸の持ち方のしつけについて、Twitterで炎上していた。

私は理由がどうあれ、こういう袋叩きにする風潮が嫌いだ。

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理不尽ないじめを受けた過去

私が集団で寄ってたかって叩くのが嫌いな理由は過去にある。

私は小学校に入る少し前に、都内近郊から近畿地方の田舎町へと引っ越した。

そこで私はクラス全員 vs ニト1人という構図で、いじめを受けたことがあるのだ。

理由は「この町に住んでるくせに、方言を喋らず、地元に馴染もうとしないとはけしからん!」というもの。

まだ引っ越したばかりでその地方の方言が喋れるはずがない。

超理不尽じゃないだろうか?

でもこの時、この教室で異を唱える人は誰もいなかった。

つまり教室内では、「標準語を話すスカしたような奴」は極悪人となり、極悪人を矯正することが正しいことになったのだ。

私へのいじめはその後数か月続いた。

いじめを受けたところで、私の標準語は急に直らない。

だから時には殴る・蹴るの暴力も受けた。

よく勘違いされるが、いじめている方は悪いという感情はない。

なぜなら、自分が正しいという正義感を持っているからだ。

「クラスの輪を乱す悪人を、正義の味方の僕たちが懲らしめてやってるんだ」と考えている。

罪悪感がないからこそ、平気でいじめられるし、だからこそいじめはなくなくならない。

このように正義感を伴う行動は、その行動自体が悪いことだとしても、罪悪感を持ちにくいものです。

結局その数か月後、私は親や教師に相談し、何とかいじめの流れを断ち切ることができた。

最初に教室で先生が話し始めた時のクラスメイトの「あれ、なんか悪い事やっちゃってたの…?」という空気が忘れられない。

炎上させてる人は罪悪感を感じていない

そして、上のいじめの図式はまんま、ネットの炎上にも当てはまる。

多数派こそが正義と言わんばかりに、多くの人が悪だと思ったものはみんなで一斉に叩く。

時には「死ね」など不適切発言よりもよっぽど不適切な発言もあるけど、正義のためだから仕方ない。

電話をかけたり、自宅まで押しかけたりして、対象者を精神的に追い詰めても、正義のためだから仕方ない。

でも、冷静にこれを読んでいる時にはおかしいと感じるはず。

実際にこのようなことは毎日のように起き、この炎上を正当化するような人までいる。

「こいつは悪い奴だからしょうがない」と。

もし対象者が本当に悪なのであれば、それは警察や裁判所が対処する話であり、個人が攻撃しても良いなんてことはあり得ない。

でも、大して罪にも問われないようなことを徹底的に懲らしめているのが現実である。

昨日の炎上にしても、お箸の綺麗な持ち方を教えないことが犯罪なのか?

そんな家庭は他にもいくらでもある。

現在の炎上ブームは、声の大きな人が騒げば、裁判もなしに刑が執行されているようなもの。

いつ誰が対象にされてもおかしくない。

この記事のトップにある画像は「正義の女神」と呼ばれる像ですが、この像のように正義感に心を奪われてしまうと、人は盲目になってしまうのかもしれない。

行動を客観的に見てみよう

他人の行動を見た時、自分の正義感が溢れ出そうな場面は誰にでもあると思う。

正義感で悪いと思うことを注意したり、人助けするのは間違っていない。

ただ、その正義を盾にして、相手を必要以上に攻撃していないか、自分の行動を客観的に見る癖は付けておきたたい。

そうしないと自分の正義感が暴走して、無自覚に犯罪者になってしまう。

少なくとも、私の中では大多数で個人を攻撃するのは自分の正義に反するため、私自身も炎上やいじめに加担しないように気をつけていきたい。

自分の正義と他人の正義は全く同じではない。

自分の正義感を他人に押し付けたところで、聞き入れられないこともある。

自分や身内に危害が及ぶようなことでなければ、わざわざそこに労力を使いすぎる必要はないのではないだろうか。

※この記事は以前別のブログで書いたものを加筆・修正したものである。

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